父の想いで

 この挿絵はおそらく戦時中のものとおもわれます。まだ私たち姉妹が生まれる前のことですね。従軍看護婦として戦地に赴いた乙女が激しい戦火の下で砲声を聞きながら故郷に手紙を書いているところでしょうか・・・・・ よしやブログ

次女の明子です。久しぶりに“父かつぢ”について書いてみようと思います。とにかく逸話の多いひとでした。特に食べることに関しては極上の味覚をもった人で、この季節になるとそろそろ鰌ですね。そうそう、“どぜう”です。
 一日の仕事が終わると着流しにもじり(男性用の着物のコート)を羽織って駒形まででかけるのです。今では渋谷でも食べられますがその当時(今から50年も前のことですよ!)はバスに乗って電車を乗り継いで浅草の先までいくわけですから大変なことですが、好きなものを食べたいという情熱は人一倍でしたね。大好きな剣菱かキクマサでいっぱいやりながら柳川鍋をつついている親父さんを想像するとついこの間の事のようにおもえます。帰りは夜半になるのが常できちんとかぶって出かけたはずのハンチングがあみだになって懐手をした父がご機嫌で“とにかくおれはもてるよ!”と庭先で体をゆらゆらさせていたのをおもいだします。きっといいことがあったのでしょう。確かに子供心にも素敵な父でした。父はお酒が好きでしたがいわゆる“酒に飲まれる“人ではありませんでしたから酔って乱れた姿を見たことがありませんでした。ダンディなひとでした。その辺がもてた所以でしょうか。
 或るときこんなことがありました。“そんなに好きなら私も作ってみようかしら”と料理の好きな母が生きたドジョウとお豆腐をかってきました。よせばいいのに…。
 お鍋に豆腐を入れそこへ洗ったドジョウを入れ蓋をしたまでは良かったのですがガスの火をつけたとたんにドジョウは大騒ぎ! きゅうきゅうと悲鳴を上げながら冷たい豆腐の中に逃げ込もうとするのですからたまりません。母は耳をふさいで逃げ出してしまいました。その後のことはご想像にお任せします。
 父は歯が丈夫で亡くなるまで入れ歯が一本もありませんでした。秋になると絵筆を止めて庭の柿の木からよく色ずいた柿の実をもいでは絵の具やインクのしみついたズボンで拭いてガブリと丸かじりをするのが大好きでした。庭には種類の違う何本もの柿の木があったのを思い出しました。そうだ!あの頃毎日台所から出る生ゴミを柿の木の根元を掘って埋めるのは私の仕事だったことも思い出した。アー懐かしいな、あの頃が

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