祖父『パポちゃん』の思い出

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かつぢファンの皆様こんにちは。
かつぢの孫のひとりであります「雅」です。(孫は沢山います。)
今回、私が製作した新しいかつぢのウェブサイトはいかがですか?
これからもかつぢの作品やエピソードなどを
沢山のコンテンツを紹介していきますので、時折ご覧ください。
さて、当ブログは、ゆかりのある人たちからの思い出話や楽しいエピソードを募集していますので、
まずは、トップバッターとして、サイト製作者自らが記事を書かせていただきます。
つまらぬ内容ですが、しばし、お付き合いください。
祖父「パポちゃん」の思い出
私が生まれた昭和47年、祖父は68歳。叙情画や漫画の世界から引退してから久しく、
中伊豆にアトリエ「稚筍房」を立ち上げた翌年ということになります。
私は、そのアトリエのそばで幼少期を過ごしましたので、
晩年の祖父に最も身近かにいたことになります。
残念ながら、小さな頃の記憶は鮮明ではなく、祖父と遊んだことや生の会話はあまり憶えていません。
また、祖父が偉大なアーティストであることも、当時は気にしたこともありませんでした。
もっとも老いた祖父は、後年記憶も朧でしたから、私がいっちょまえに口が利ける年頃には
もうあまり会話をすることができませんでしたが・・・
ですから、私の中の祖父の記憶とは、祖父本人から受けたリアルな記憶よりも
古いアルバムや8mmフィルム、あるいは親類によって語られる人エピソードから
出来上がったものなんだと思います。
あえて記憶を探すならば、
洋服の糸くずやシワを気にする姿。かんしゃくをおこして、お出かけをフイにすること。
ハンチング、色眼鏡、手元にはタバコかパイプというお決まりのアイテム。
1センチでも筆を動かしたら後で気づかれてしまうだろうというくらい整然としていた部屋。
兄と使っていた子供部屋にかけてあった祖父の童画。
それと、渋くって子供には理解できないけれど、とにかく立派だと思えた家具や美術品。
などでしょうか。
祖父が亡くなってから、20年余。
古いソファ、マフラーなどが手元にあるんですが、どれも自分の好みにぴったりで今も大切にしています。
大人同士の会話が叶わなかったた自分は、
祖父愛用の品々に触れることで、美意識や世界観などについて語りあっています。
それは祖父の作品を見ることよりも濃厚であり、また画家かつぢではなく、
祖父「パポちゃん」※との見えない会話みたいだと考えています。
現在、私は中国や韓国の古い家具を扱う仕事をしていますが、
祖父もまた、若き日に、中国上海を旅し、その大陸の雄大さに感激したようですし、
李朝の木工や磁器などを愛し、よく買い求めたと聞きます。
絵の才能はどうやら遺伝してないようですが、このあたりの趣向は
ちょっぴり受け継いでいるようです。
「パポちゃん、どう?僕の趣味。」と聞いてみたいものです。
※「パポちゃん」とは、家族みんなが呼んだ祖父の愛称でした。
次回、機会があれば、8mmフィルムを公開したいと思っています。
ご拝読ありがとうございました。
再見

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