父の散歩

父の散歩
  松本明子(二女)
 父は学生時代、ボクシングや器械体操をやっていて、その当時の人としてはかなりハイカラなスポーツ青年であったらしい。
そのせいか、中高年になってからでも、比較的動きは機敏でよく体を動かしていたし、
“健康”についても関心が高かった。
終日机に向かっているため、一日の仕事が終わる夕方にはかなり疲労がたまる。
それを取るべく、庭に出て首や肩を動かし腕をまわしていた姿を想い出す。
 そして、余程仕事がつかえていたり天候が悪い時でない限り、
必ずと言っていいほど散歩にでかける。
それも近所をぶらぶらなどと生易しいものではなく、バスか電車に乗って近ければ自由が丘か渋谷、間がよければ銀座か新橋くんだりまで足を延ばす。
 背筋を伸ばし大股で歩く姿は昨日のことのように瞼に浮かぶ。
気分の良い時などは子供たちを連れていくこともある。
子供が多かったので全員一緒というわけにはいかず、
大体二人ずつ“今日はお前さんとお前さん”というような感じで、
今から思えば満遍なくいきわたるように連れて行ってくれていたように思う。
そして私達は「今度はいつだろう…」と心待ちにしていたものである。
Y&M

   私(管理人)と姉(著者)
私は大体いつも妹と一緒で、夕食後の散歩だと自由が丘ならモンブランのケーキと紅茶。
夏などはかき氷も楽しみなもので、お揃いの浴衣を着た私達は大股で歩く父の後ろからついていくのだが、“氷”と書かれたのぼりのある店をさがすのに余念がなく足早な父の姿を見失うこともよくあった。
父はかき氷は絶対あずきと決まっていて、それも食べ方にもこだわりがあった。
運ばれてきた氷あずきを先ず両手でギュッとおさえて、食べる時に器の外にこぼれないようにしてから、穴を掘るようにして食べる。
早く仕事が終わった時は夕食前に家を出て、新宿伊勢丹のお好み食堂でお子様ランチか銀座末広のハンバーグを食べさせてくれた。
そして原稿料が入った後などはデパートで楽しそうに洋服やお人形を買ってくれた。50年以上も前の話である。
 兄や姉たちの散歩がどんなものだったのかはわからないが、一度こんなことがあった。
寒い冬の日だった。
兄たち二人を連れて出かける父の姿は、グレーの霜降りのもじりにハンチング、
黒足袋に下駄か雪駄だったと記憶しているが子供心にも“恰好いい”と思えた。
 寒がりの父は、首にはいつもフジ絹の黒い布を巻いていた。
その日は渋谷の百件棚のあたりを懐手をして歩いていたらしい。
しばらくすると前方から、その筋のお兄さん方とおぼしき人たちが近づいてきて、
兄たちは一瞬”ぎょっ“としたようだが、すれ違いざまに頭を下げ、
挨拶をして通り過ぎた。
どちらかの親分さんと勘違いをしたようだと、帰ってきた兄達が興奮して話をしていたのを聞いた。
父にはそうした迫力があった。しかし、私達はただの一度もそういう場所へは連れて行かれなかったのは、父の配慮だったのか…。
 都心から離れたところに住んでいたので、帰りは大体いつもタクシーに乗った。
ところが父は家から離れた人目につかない場所でタクシーを降りるのが常だった。
その頃、我が家は比較的経済的に恵まれていて“松本さんちは特別”というような見方をされているのを私は知っていたから、そんな父を見て父の気持ちがよくわかった。
だから、買い物の入ったデパートの大きな袋を目立たないようにして、父の後から小走りについていく時が一番心苦しく辛かった。
でも、ある時、父はそんな私を“子供らしくない”と母に語ったと、母から聞かせられた時は悲しかった。    
        最後迄、読んで下さってありがとうございました。

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