本や雑誌の抒情画と童画

かつぢが抒情画家をめざしたのは、蕗谷虹児に触発されたのがきっかけでした。しかし独自のスタイルを模索するにつれ、虹児や他のイラストレーターによる感傷的で神秘的な作品とは対照的な、大きな目をしたカラフルな女の子を描き、陽気で「かわいい」スタイルを確立していきました。

後に中原純一と共に少女雑誌の主要なイラストレーターの1人になったかつぢは、著名な日本人作家(吉屋信子等)の物語から外国人作家(シェークスピア、アンデルセン等)の世界的に有名な物語まで、数多くのさし絵を手がけました。50歳を機に雑誌挿絵画家を引退したかつぢは、その後数多くの子供のための絵本の制作を精力的に取り組み、新しい童画の分野で幅広く活躍しました。

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虹のお城
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少女雑誌の挿絵

非凡な才能を持っていたかつぢは、洋の東西を問わず、老若男女をそれぞれ魅力的に描ける数少ない挿絵画家でした。また、作品の内容や雰囲気に合わせて作風を変え、華麗でダイナミックなものから端正でクラシカルなペン画、そしてコミカルタッチのものまで、幅広い作品を数多く残しました。

その中でもかつぢが持ち前の魅力を最も発揮したのは、外国の風俗を色彩豊かに描いた絵物語のページでした。神戸で育ち、お洒落な学生が集まる立教大学に学び、国際都市上海に滞在した経験もあるかつぢは、インターナショナルな知識とセンスを体得していました。

異国の少女がまとうドレスのディテールや髪型、仕草、背景に描かれた風景やインテリアなど、なにもかもが読者たち少女の憧れをかきたてました。

かつぢの描いた童画の世界

昭和30年、50歳迎えたのを機に「少女雑誌からの引退」を表明したかつぢに新たに舞い込んだ「童画」の仕事。子供好きであったかつぢは締め切りの厳しい雑誌の仕事から解放され、喜んで子どもたちのために筆を振るいました。

アイディアマンだったかつぢは、ポップアップ絵本の制作や幼児向け雑誌での「飛び出す付録」の考案、英語版一寸法師の絵本制作やアニメーションの試作など、意欲的に取り組みました。

講談社が未来を担う子どもたちの情操教育のため、使命を持って取り組んだ『講談社の絵本』シリーズに起用されたことも、画家として一流と認められた証でした。

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