タイムライン
松本勝冶 神戸に生まれる
1904
日露戦争開戦
1910
竹下夢二の挿絵がブームになる
1913
中原淳一誕生
- かつぢ家族とともに上京
立教中学在学中に始めたアルバイトがきっかけで挿絵の世界へ
1914
第一次世界大戦開戦
1920
蕗谷虹児の挿絵が評判になる
立教中学中退
川端画学校でデッサンを学びながら雑誌でカットや挿絵を描く
1922
東京の出版業会が大打撃を受け、友人のいる上海へ渡る
1923
関東大震災
『少女世界』『少女画報』などで挿絵を手掛ける
この頃同時にコミカルタッチのさし絵やマンガも描きはじめる
1928
中原淳一誕生
さし絵画家として独立し『少女世界』『少女の友』で活躍
1931
「のらくろ」発表
満州事変
二森あや子と結婚
1932
8ページにわたる「月の見た話」さし絵が『少女の友』で大反響
付録マンガ「?(なぞ)のクローバー」「板チョコ3人組」発表
1934
マンガ家へ転身
1937
『ピチ子とチャー公』『お目目くるくるクルミちゃん』等マンガを発表
1938
1939
アメリカで『風と共に去りぬ』公開
軍部の意向により『少女の友』を降板した
中原淳一の後継者として活躍
1940
理研科学映画部長に就任
映画のタイトルバックやアニメーションを制作
1941
日本が第二次世界大戦に参戦
1945
終戦
銀座にかつぢグッズショップをオープン
1946
中原淳一『それいゆ』創刊
『サザエさん』連載開始
中原淳一が創刊した少女雑誌『ひまわり』に
『エレン物語』等多数作品発表
1947
1950
『ジャングル大帝』連載開始
1953
NHKテレビ放送開始
50歳を機に少女雑誌から引退
児童雑誌、学年雑誌、絵本等に活躍の場を移す
1955
カリフォルニアにディズニーランドオープン
『少女の友』廃刊
『克プロダクション』設立。童画と商業デザインを始める
コンビ、月星シューズ、布団の双葉等の仕事を手がける
1960
1964
東京五輪開催
1966
ビートルズ来日
伊豆にアトリエ「稚筍房」(ちじゅんぼう)設立
竹細工の玩具などをデザイン
1971
『ベルサイユのばら』が一世風靡
長男と一緒に、幼い頃の憧れのアンデルセン縁の地デンマークへ
遺作となる『ハームとモニーの12ヶ月』を描き始める
1975
次男一騎を訪ねてアメリカへ
1976
サンリオからハローキティグッズ発売
1979
蕗谷虹児没
1983
中原淳一没
任天堂より初代ファミリーコンピューター発売
1984
『風の谷のナウシカ』公開
5月13日永眠。富士山の麓富士霊園に眠る。
1986