松本かつぢ
本名 松本 勝冶 1904-1986
松本かつぢは、昭和を代表する少女漫画・叙情画の作家。
繊細なタッチの美少女画から明るくコミカルな漫画、
また数々のキャラクターデザインなど、幅広い活躍を見せ、
没後20数年が経つ現在も多くのファンに愛されております。
プロフィール
1904年・神戸で父寅治・母いしの間に生まれる。
かつぢ8歳の頃、東京へ家族とともに移り住み、立教中学在学中(13歳頃)に
はじめたアルバイトで、 博文館の雑誌のカットをはじめ、挿絵の世界に入る。
18歳で同中学を中退後、川端画学校へ通 いながら「新青年」「少女世界」「少年世界」等の雑誌で、カットや挿絵を描いた。
1923年の関東大震災で、出版業界においても大打撃を受けたことを契機に、
かつぢは、自らの活路を探すべく、パリに赴き、絵画の腕を磨くことを決意し、日本を後にする。
ただし、途中で立ち寄った上海に逗留していた折、急遽帰国を余儀なくされ、徴兵検査を受ける。
(当時の徴兵検査では、偏平足であったがゆえに、出兵をせずに、内地にとどまった。)
上海にいた時分、かつぢは上海日日新聞に記事とイラストを書くことで、
渡航と滞在の費用を捻出していた。
その後、昭和に入った日本で、少女雑誌で挿絵画家としてデビュー。
たちまち、エキゾティックで繊細な美少女画で頭角を現す。
「少女の世界」「少女の友」で注目を浴び、少女達の人気を得る。
加えてユーモア溢れるタッチの挿絵や漫画にも挑戦し,新境地を開拓する。
1934年発表の代表作 『なぞのクローバー』に続き、
1938年(昭和13年)には少女漫画の先駆け的作品である『くるくるクルミちゃん』を連載開始。
同作品は発表雑誌を変えながら足かけ35年もの長期連載となった。
又クルミちゃんは愛すべきキャラクターとして定着し、次々とグッズ化され 、
昭和のキャラクターグッズの元祖となった。
1950年(昭和30年)頃からは、動画の仕事やベビーグッズの企画・制作も手がけ、
コンビから発売されたベビー食器は大ヒット商品となった。
1971年(昭和46年) 静岡県田方郡中伊豆町(現在の静岡県伊豆市)に
アトリエ稚筍房を設立、竹細工のおもちゃや置物などのデザインを手がけ、
地場産業の発達にも寄与した。
1986年(昭和61年) アトリエに程近い病院で、妻あや子や次女明子ら看取られ、
81歳で、逝去。静岡県御殿場市の富士霊園に埋葬された。
近年、そのバラエティー豊かな活動と作風が再び注目され、
2006年春に東京弥生美術館で開催された没後20年の回顧展では、
同館の歴史上、3番目の来場者を数えた。
Katsudi’s history and biography is edited by Mr Matt Thorn in Seika-University (Kyoto,Japan)
English article about Katsuji is available on Wikipedia